以下の文章は1995年季刊「子ども学」Vol9秋号に中原さんが執筆したものを本人の許可を得て転載させていただきました
中原俊さん映画監督/BONOBO所属・中原さんについては八ヶ岳のほしを参考にしてください。


子どもの謎 神様が降りてくるまで

   


 顔は海の方ばかり向いて日本中を足り回り、頭の中は一〇歳の頃の自分が足り回っている。
「どこ行っちやつたんだ? どこ行っちゃったんだ! どこ行っちゃったんだ!?」
 そして、松林を見つけては、オーツと声をあげて駆け寄るが、マツクイ虫のせいなのか、土質が変わったせいなのか、広葉樹に世代交替されかかった松は、ヒョロヒョロした木ばかり。
 防波堤とテトラボッドでコンクリートだらけになったかつての砂浜の跡で、またあるときは、駐車場や、夏にはびっしり建て込むであろう海の家の敷地の上で、
「やっばりそうなんだよなあ」
 とため息をつく毎日が続いている。
 白砂青松の景を求めての全国行脚と聞けば、なんと優雅な、とおっしゃる向きもあろうが、こちとら冷汗たらたら胃の腑をしぼりあげられるような悔悟の念にかられている。
 そもそも自分の子どもの頃の映画を作りたいと考えるなんて、大それたことだったのだ。
 厳密に言えば、今回は映画じゃなくてテレビドラマなんだけど、そんなことはこの際どうでもいい。”♪ああ−、日本のどこかに−、きっとある−”なんていういい日旅立ち気分は、日本列島改造、高度成長の力を甘くみるんじゃない!と木っ端微塵に叩きつぶされてしまった。
 三〇年以上前の話だもんなあ…。でも、三〇年しか経ってないんだよ、あんなにいっぱいあったのに。海があって砂浜があって松林があるのは、日本の原風景じゃないか、一つくらい残しとけよな。俺はついこの間まで五右衛門風呂に薪くべて、囲炉裏で芋焼いて食ってたんだぞ、と意味不明に当たり散らして一層虚しくなってしまった。
 どうして子どもの頃の映画(はなし)なんか作りたいと思ったのだろうか?やっばり年のせいなのかな、四〇越えた頃からだもんな…。折り返し点過ぎると、人間、ノスタルジーに走るのかな。それとも自分の子どもが引き金かな。
「子を持って初めてわかる親の愛」なんていうけど、俺あんまり子どもに愛情注いでないから、親の愛いまだによくわかんないし、かえって親ってつくづく自分勝手だと思う。自分が遊びたいときはあの手この手で連れ出すくせに、ちょっとうるさいと「あっち行け」だもんね。でも、確かに少年らしくなってきた息子が目の前チョロチョロしてると、俺がこいつの頃、いったい何考えてたんだろう、と思うことはあるから、要因の一つではあるんだろうけど。
 自分の子どもの頃をつらつら思い出してみると…。これがすご−く退屈だった。漫画があった、テレビも始まった。野球もメンコもしたし、友だちと遊ぶのはまあ、楽しかったんだけど、学校はほんとにつまんなかった。
 ぁの授業時間の長さ、内容のおもしろくないこと!なんでこんなことしなきやいけないんだろうと思ってた。今はなんでだか知ってる。あれは、わざとそうしていたに違いない。つまんない時間を逃げ出したりしないで、じつとがまんして耐えることこそ、授業の大事な狙いだったのだ。大人の世界はつまらないからそれに耐えられる能力のある人間を選別していく方法であり、選別された人間は、役所や会社を基盤とした社会に適し、国の経済を支える、まさしくこれから始まる日本の(それは今の日本だけど)求める大人だったわけ。子どもの時間は、そういう大人になるための訓練期間だったのだ。
 僕らの時代はそれでよかった。ルール違反じゃなかった。あまり大して意味のない問題でも、解ければ合格、進学できたし、いい大学に入るといい就職ができ、そうなることが大方の日本人の希望だったのだから。
 でも、これからはそのことに全然意味がなくなっていく。選別された人間を受け入れる会社がなくなっていくんだから、システムだけが残っててもしょうがないじゃない。
 じや、いったいどうすりやいいんだ!というと、僕らが子どもの頃に持っていた不満、こんなこと覚えてどうするの、つていうことを、いったん全部やめてみるっていうのがいいんじゃないだろうか。
 三角関数だってログだって習ったけど、一度とりとも使ったことなんてないわけで、ま、算数なんかはルールを使っていろんな計算の方法を覚えていく知識遊びみたいなものだから、好きな子はいいけど、嫌いな子にとっては耐え難かったと思う。
 ほんとにいちばん大事なのは、ものを知るときにどういう方法で知るか。たとえば図書館を使って、とか、辞書や事典を使って物事を自分で調べて知っていく方法なんか、もっとちゃん教えたっていいと思うし、あるいは、ものの名前とか仕組みみたいな、具体的な実学の知識なんかをこれから教えるようにしたほうがいいと思うけどなあ。
 草木の名前とか、魚屋さんで売ってる魚の名前なんか、今こそまさしく学校で教えなきや、誰も教えてくれない、お父さんとお母さんが知らないわけだから。純粋な意味で自然を大切にする子どもが育つ可能性のある最後の機会は今しかない。
 面白くてためになるのが学校なんだから、生きていくうえで実際的に必要なこと、仲間とのつきあい方、子どもの世界の中のリーダーシップのとり方とか、子どもたちだけで、あるいはひとりで生きていける方法を教えるほうがいい。
 小刀の名人に、学校で小刀の使い方を習う。家庭じゃ鉛筆削り使ってもいいが、学校でちゃんと習ってるから小刀扱えるんだ、というほうがいいんじゃないかな。
 これからは、人間の作ったものや、もともと地球が持ってたものを、どう活用して生きていくかを教えるために、学校という組織は存在することになる。僕ら世代が変革するときが来たんだけど、それは子どもたちのためにではなく、僕ら自身のためにするべきだという気がする。
 我々の世代とあわせるかのように成長肥大してきた戦後日本社会は、考える余裕を奪うように、次々に新しい刺激を生み続け、時を加速し続け、そして今、泡のように崩壊した。考えてみればこれは幸運なことかもしれない。円高や株価の下落に頭を悩ませるより、いったいこの五〇年、何が欲しくつて、何を夢みて生きてきたのかを思い起こすときが釆たのだ。
 この五〇年間に生まれた自己矛盾を解決したい我々自身のために、子どものことを考えるのであって、子どものためを思って子どものことを考えるのは余計なお世話。子どもはどんなところだって順応していくものだからね。
 自分たちが自分たちの人生の中で失ってきたものがあるとすれば、いつでも追体験できる状況、環境をつくればいい。(あ−松林が失われている!)
 このあいだ、講談の枕で「”親の心子知らず”なんて申しますが、あれは本当は”子の心親知らず”なんだそうで」と開いて、そうだ、その通りだ、と膝叩いちゃったもんな。
 退屈しきって机の前で考えていたこと、それは”大人は判ってくれない”で、あの頃は別にもっとやりたいことがあった。あったはずなのに、大人になった今は、それが何だったのかれ”判らない”になってしまった。
 だから、僕は自分の子どもの頃の映画を作る。やれなかった(あるいはやらなかった)ことをやってみたいから。自分はこういう子どもだった、ということではなく、どういう子どもで生きたかった、という部分を埋めるために。
 原作(今、作っているテレビドラマは、芦原すなお作『松ケ杖町サーガ』という小説が原作です)にそんなところをつつかれたのだ。充分やりたい放題やっていても、まだやり残しているような気のする子どもの頃の夢が、心の奥歯にはさまっているんだろう。
 今はまだ舞台作りに奔足して(松林が見つかんない!)その実態は見えないが、そこに子どもたちを置いて動かしていると、突然降りてくるんですよ、映画の神様が。
「お前のやりたかったことはこれだろう、昔あんなに思っていて忘れてしまったのは、このことだろう」ってね。これが映画の醍醐味なんだけどね。すごく単純で大したことないもんだけど、大事なもの。子どもの頃、どこかに隠したビー玉やメンコ、突然気になって探したりしたことありません?そんな感じ。本当に隠したかどうかもわからないけど…。
 今、松林を探しつつ(ない!)何人もの子どもたちと面接と称して会ってるんだけど、最近の子どもは実に察しがいい。こつちが向こうを理解するより先に、こっちを測って実に見事に自らの役割を演じてくる。大人を煮きつけるのが子どもの天分だといっても、この能力は日々格段に増してるなあ。これはこれで有り難いのだが、子どもより大人のほうが単純になり、ステロタイプ化してすっかり見切られてしまっているともいえる。ナメられているといえばナメられている。少し理不冬なことでもして混乱させたほうがいいのかもしれんなあ。まあ、でもここんとこの社会情勢ははなはだ理不尽だらけで充分混乱させてるか。
 僕が子どもを素材にするのは、忘れていること、”大人になっても絶対忘れないぞ”と思ったことがいったい何だったのか、その謎を思い出さなきやいけないからかもしれない。
 子どもの謎っていうのは、時空を変えれば、実は大人の謎なんだな。今、日本も裕福になって、子どもが大人にならなくてもよくなってきてるから、考え直すにはいい機会かもしれない。忘れてしまった子どもの頃の自分を思い出して、何のために大人になったのか(ならなかったのか、という人もいるだろうけど)、考えてみよう。
 だから現代(いま)じゃなくて自分の子どもの頃を舞台に選んだんだ。昭和三〇年代、確かに面白い時代だった。
(あの頃の海や砂浜、松林が残ってるとこ、誰か知りませんか?)

(なかはら・しゆん 映画監督)

文中の「松が枝町サーガ」は芦原すなおさんの原作をNHK/BSでドラマ化しました。4話もので昭和30年代の雰囲気の出たとてもおもしろいドラマでした。