11/16修学旅行の説明会2
修学旅行2
11/16
 p.m.7:30より始まった。
 村側から教育長と先日ニュージーランドに視察に行った教育委員会の職員、中学から校長・教頭以下関係者、と保護者、プラス旅行会社(JTB)の社員。旅行会社の人は、うちになるかどうかわかりませんが、とりあえず旅行代理店の代表でと前置きされた。まあいいんだけど、なあんか違和感を感じてしまった。
 まず、ニュージーランドのビデオ・子どもたちがいくであろう先々のスライドでの説明。
 この感想、学校での交流はいいとして、羊の毛刈りショーって、どっかの水族館のイルカショーと一緒でわざわざ中学生に見せる物でもないと思う。
 
 この修学旅行、推進者あるいは賛成者のなかには、ニュージーランドにいくことは積極的、京都・奈良は消極的という感情が蔓延している。
 私に言わせれば、治安がよくて英語巻、おまけに白人社会(説明では元から住んでいた現地の人と融和政策が積極的におこなわれている、保護されているという。その元締め、融和政策・保護をおこなっているのは、白人ということになるんだよね)、という安易な理由でえらばれた場所が積極的とは思えないんだけどなあ。
 積極的な修学旅行って場所だけではないとも思う。
 絶対にあり得ないと思っていた南北の対話が進みつつある韓国をリアルタイムで肌に感じる、とてもスリリングで積極的な旅行になるはずだ。
 べつに白人だ有色人種だっていう気はないんだけど、手厚く保護されてるとか声たからかにいわれると、ひねくれもんの虫がうずく。
 たとえば、とっても暖かい国で腰みのひとつで平和に暮らしていけてたとこへ、裸は道徳的によくないと自分たちのルールを押しつけに来た人たちがいたわけで、それが連綿と続いて今日にいたった。
 ちょっとそれはまづいかなとやっと気づいて、元からいる人たちを保護しようということになったわけですよね。
 元からいた人との融和をはかっているすばらしい国と説明されたからには、そこまで生徒に教えないと意味がないですよね。こういうことを教えていくのなら、ニュージーランド修学旅行も積極的になるかもしれないとは思いますよ。
 
 村代表として教育委員長・校長のあいさつのち、ニュージーランドにいった教頭の現地報告・JTB社員のニュージーランド説明。
 のち、質疑応答。
 私は反対した。なぜなら、うちの子が行きたくないと行っているから。
 息子は小学校3年生のとき、司馬遼太郎の関ヶ原を読んでいるというヘビーな歴史好きである。日本史のことならよう知ってると関心してしまう。
 よって、今までも吉野ヶ里・西南戦争の場所・萩・姫路城・松本城などなどさまざまなとこへ見学にいっている。でも、肝心の京都・奈良にはいっていない。中学の修学旅行でいくと決まっていたので、それをとっても楽しみにしていたからだ。彼にとって、京都・奈良へいくということは大切な宝箱にしまってある一番大事なものなのである。
 確かに、学校の勉強の一環だから子どもがいきたいとこへ行かせるってもんではないけど、中学にはいれば京都にみんなでいけると楽しみに中学に入った。はいったとたんに青天の霹靂のごとく、ニュージーランドにいかせてやるなんていわれても喜べない彼の気持ちはよくわかる。彼の母として、反対せざるおえない。
 しかし、突然ニュージーランドといわれ喜んでいる子もたくさんいるはず。こんどはそっちの気持ちはどうなるのだろうとも思う。ここまで盛り上げてやっぱ京都になったでは、盛り上がっている子たちのきもちはいったいどうなるのだろうか。こんな気持ちで京都に行ったらやっぱ楽しくないだろうなあ。
 学校のことって、いつもおもうんだけど、主役であるべき子どもたちの気持ちみたいのは置いてきぼりになっている。

 たとえば、本来子どもたちがよりよく快適に、かつよい方向になるためにあるべきPTAの活動はほとんど対外的学校のメンツのためだったり、過去からなれあいで行事をこなしているようにしか見えない。
 PTA自体、子どもが少なくなっているのに、多いときとおんなじだけ役員の数も種類もある。
 今時、家にのほほんとしてる母親もいない、役員行事には会社を休んで出席する。市町村長内だけではなく、郡単位での集まり、また地区行事としてのPTAなど、とてもたくさんの時間を強いられる。
 うちには一人しか子どもがいないけど、この点だけは一人っ子でよかったと思う。もうひとりいたら、PTA拘束時間が倍になる。子どものためにPTAが存在するとはとても思えない、学校のメンツだったり、過去からの固執だったりそんなふうに思えるんだけど。
 そろそろPTAのありかたは考えるべき時だろうね。どっかの学校ではPTA入会が義務化していないとか、PTAじたいないとこもあるとか。
 息子の学校だって本来強制的なものではないだろうけど、学校も父兄も疑問に思うことなく存在しているものに今の段階で、うちだけ異論を唱えるってちょっとむずかしい。
 地区にしろ学校にしろ役員になると時間の拘束が大きいんだよね。それはみんないやなわけで、あの人は今年も役を逃れたずるいとか陰口って結構あるわけ。子どもの数が減ってるんだから、今後はもっと拘束が大きくなる。その大変さはみんな思っている。おおもとのPTAのそんざい意義について考えられていない。なんの答えも結局でないよね。

 校舎を改築した。立派な食堂ができるらしい、それだって、本当に生徒のこと思っていれば、更衣室つくるとか他のことが考えられるはずだ。立派な食堂ができたって、運動で汗だらけほこりだらけの体育着で食事したんじゃあなんにもならないだろう。
 確かに立派な食堂は対外的にはじまんのたねになるかもしれないけど。
 脱線。
 今回の突然持ち上がった修学旅行も生徒の気持ちは置き去りに、大人たちのあいだでどんどん話が先行していく。
 このなりゆきは、当然中学生の子たちも知っているわけで、どっちになるかわからない宙ぶらりんの不安定な気持ちが半年以上続いている。
 うちの子のように京都にいけると夢抱き入学してきた子、ニュージーランドにいけるかもしれないとなって希望に夢ふくらませている子、初めての外国旅行に不安を募らせている子、さまざまなもやもやを抱え、でも自分たちに決定権のないもどかしさを多くの子たちが今抱えていることだろう。
 村長はみんなを平等にニュージーランドにいかせてあげようと思っている、その村長の気持ちを理解しろみたいな村の関係者ではないかとおもってしまうような発言。
 その後、反対だ、賛成だって延々と続く発言。
 教育長はみなさんのご理解が得られなければ無理には押し進めないと言う。
 でも市町村合併したらいけなくなるかもしれない的ニュアンスあり。もしそうなっていけなくなったらせっかくニュージーランドにいけると夢ふくらませ入学してきた子がいたとしたら、またこんな悲劇が生まれるのか。

 平等にといわれてもみんなが喜ぶわけでもなく、役に立つわけでもない。また同じだけ村が費用を負担すると言うが、結果的に費用は20000円近く増えるわけで、今までの9万、プラス2万という額はそれぞれの家にとって経済状態は違うわけで、平等な額ではない。
 みんなが平均に平等なんてこの世の中でありえない、このありえない幻想をいだいたところから、今回の騒動が大きくなった一端はあると思う。
 すべての人の平等なんか考えていたら、一生解決なんかあり得ない。
 結局のとこより多くの人の意見にしたがうしかないんじゃないの。
 確かに話は急すぎた。そこを指摘する親は多かった。お隣町は希望者を何年もカナダにいかせてて、やっと今年から全員いくことになったという。そういう段階もなくいきなりで親も子も戸惑っているという。
 この性急さはなんだろう。市町村長合併話が持ち上がっている。そうなったらもはやいけないかもしれない発言。うがった見方をすれば、それまでの村長の業績作りにおもえてしまうじゃないか。
 たぶん村長は純粋な気持ちで、未来ある子に外国というものを見てほしいとお考えになったんだろうけど、もう少し、子どもたちの中にはいってから決めればよかったんじゃあないか。
 子どもたちに本当に必要な教育とか環境とか、わかったんじゃあないか。ニュージーランドなんていきなり出されたときの子どもたちの不安と期待とか、さまざまなことが考えられてから出発されるべきだったはず。 一年間、1000万近い金を村はだすんだ、と教育長は胸をはってごらんになりましたが、それだけの大金を使うならなおのこと内々にでも村役場、学校関係者で子どもたちのことを含めて協議されるべきだった。
 
 もしも京都にいくことになったら、ニュージーランドいきに夢を膨らませていた子たちの気持ちは一体どうなってしまうのか。また京都に行けると楽しみにしていた子たちは、ニュージーランドになってしまったら........。
 村の不手際からこの混乱は生じている。両方行くしかないよね。
 でも、人数てきに一年に2箇所いくのは無理だろうから、2学年一緒でニュージーランドと京都を隔年でおこなえばいいんじゃないのかな。そうやってニュージーランドの実績を積んで最終的に毎年修学旅行はニュージーランドってことにすればいいじゃないのかな。
 と私は意見を述べたんだけど、反応なし。
 また11/30にいよいよ最終判断の話し合いがある。どうなるんだろうね。