11月30日
第3回修学旅行の話し合いがあった。
どっちに転ぼうと今度こそ最終回と意気揚々出かけたら、教育長が病気で出られないから、最終決定は12月9日に新校舎引っ越しで保護者が出向いたときになされるということになった。せっかくいらしたので、本日は皆様方のご意見を聞くにとどめて、回答はいたしませんとのこと。
教育センターを代表していらしてた課長は挨拶の後、別口の会議があるということで退席してしまった。結局、保護者と学校の校長、教頭、はじめ学校関係者のみとなった。
この話し合いに一度も出ていない保護者のひとりに、ひとりだけすごい反対してる人がいる(私のことだけど)、関係ない制服通学のことまでいいだす、などとかげぐちをきかれているとしった。
で、これまでの経緯を説明、市町村合併があったら行けなくなるかもしれないっていったんだよ、そしたらまたいきたいとおもっていた子は不幸になるじゃないといったっら。
はっきり言って、私の家に今後もふくめて子どもを外国に行かせてやる力はない、子どもが大きくなっても自分で外国へなんかいけないだろう。子どもにとってこれが最初で最後の外国旅行のチャンスなんだという。英語がしゃべれるようにならなくても中学生としての勉強に役立たなくてもいいんだ、せっかく村が金だしてくれるっていうんだからぜひこの機会に行かせてやりたい。
こういう意見もあるのかとちょっとショックだったけど、まあ一個人の保護者として自分の子の利益を考えるのは、当然だからこの考えは正当なわけだ。
とりあえず、出席した保護者に意見を求められ、いつものように私がいちばんに口火をきった。
以下
反対していらっしゃる方はたくさんいるのになぜか私ひとり反対しているようにおもわれているので、とりあえず私の反対理由から。
私は武川中学保護者代表でも一年生の保護者代表でもなく息子の保護者代表という個人的な立場において、息子はNZにいくより京都にいくことのほうがより勉強になるので京都いきに賛成しているだけです。そのなかで忌憚のないご意見をお聞きしたい、全員の賛成がなければいけないとおっしゃるから、忌憚のない意見を言ってるんです。
じゃあなんで忌憚のない意見を聞かなければいけないか、全員の賛成がなければ無理に押し進めないとおっしゃるか、ここが重要だと思います。
ひとつにはこれがあまりに突然に持ち上がった出来事だからです。
子どもたちの意向、保護者の意向、村民の意向などまったく無視で、ある日突然、ニュージーランドに行かせてやる、喜べ、って感じで始まったわけです。
しかも、本当は決まってるんだけど、どうする、いくいかない、っていうのが今の段階ですね。
一年、2年かけてゆっくり協議されればよかったんじゃあないでしょうか。
村長、教育長は未来ある子に外国を見せてやりたいという純粋に子どもを思った気持ちで考えられたんでしょうけど、この宙ぶらりんな状態にみをおくはめになっている子たちの不安定な気持ちは一体どうしてくれるんだ。
京都に行けると喜んで学校に入学してその後はいけるかどうかわからない不安な状態。始めていく外国旅行に不安を抱え過ごしている子、このこたちは若いんだから、早くこのことにけりが付けば不安はのぞけるはずだった。でも未だ解決せず不安のままの状態。NZにいけると希望に胸ふくらませている子たち、数の上ではこの子たちが一番多いし、行けなくなったときのこの子たちの失望が一番大きいだろうから、もはやこれはいくしかないんだろうと思う。でも、そのまえにもっと周到にこの準備はおこなえなかったものか。
だれも主役であるべき子どもたちのことなんか考えていない。子どもたちのために始まったことでも、結果的には子どもたちを何ヶ月も宙ぶらりんに不安定な状態においていたということになるんだから。
もうひとつは公立中学という義務教育の修学旅行だからです。
全員をつれていかせてやりたいと村長はおっしゃってるという。
それは当然なんです。まして、村がお金を負担するとなればなおさら行けない子がでるのはおかしいんです。
京都とおんなじだけの負担で行けるという。外国に行くとなれば、パスポート、保険、バッグ、パスポート入れ細かく考えれば、どんどん保護者の負担は増える。みんなに同じだけのお金を出してやると言っても、村が出す金は一律でも、経費を負担する親の側の経済状態はそれぞれ違う。
いままでと同じだけの負担でいいなんて、あげそこスーパーの宣伝文句みたいなことはいわないでもっと具体的に考えなければならない。
また京都だったらいけるけど、片道10時間以上の飛行機の旅には身体的に不安がある子はどうなるのか。
みんなを平等にひとり残さず連れて行く、全員の賛同が得られなければ無理に進めないという。この発言は矛盾してるよなあ。
子どもたちはこの中学の教育方針に賛同してこの学校にはいったんじゃあない、日本国民という義務と権利でたまたま住まいちかくの学校に入学しただけだ。
なんてことを言った。途中時間の関係ではぶいたとこもあったけど大まかにこんなことをいった。
もうひとつ、NZランドのビデオ(保護者に2回目の時見せた観光案内用に現地でうっていたものを先生が抜粋したもの)と京都のビデオを見せられのち、もう一度どちらにするかアンケートをこどもたちにもとめられたときのこと。
帰ってきた息子は敗北宣言をした。
「NZランドのビデオはすっごいたのしそうだった。でも僕はあの原住民の踊りは、見せ物みたでいやだった。そいで京都のビデオはなんか教材用の資料みたいなやつだった。ほんとはすごい楽しいとこなのにあれみたら、みんな京都に行きたくなくなる。NZのホテルは超豪華そうだし、みんな泊まってみたくなると思う。みんなビデオみていきたくなったみたい。もうこれは気持ちの切り替えをしてNZをどうたのしむかかんがえなきゃあだめだ」
たぶん突然で京都のビデオは教材用以外まにあわなかったんだろう。たまたまNZは私たちに見せた物があった。先生に他意はないんだろうけど、息子は自分自身が実力を発揮できなかったようにくやしかったようだ。
教育者としてこのへんはなんとか、同レベルのビデオを用意できなかったものか、残念なことだ。
ただ、息子にとって映像操作で人の気持ちがかえられるということを学べたことはよかったかもしれない。
以上そんなことか、いくらしゃべっても回答がないのでのれんに腕押し状態で張り合いがない。
ほかにとりあえず、2年生はいかせて1年生はその結果でまたかんがえればいいんじゃないか。
こどもは喘息だ。京都も心配だけど、京都までならなんとかなるから万全の体制を整えて行かせるつもりだった、NZではとても無理かもしれない。先生には甘やかし過ぎみたいにも言われたけどそういう問題じゃない。この子はいけないのかどうなるのか。
なんでこんなに早急にことがきまったのかその理由をしりたい。それを教えて欲しい。
1年生は56%もの子が行きたいと望んでいるもし行かなくなったらこの子たちのきもりはどうなるのか是非行かせてやるべきだ。
行かせるのはいいんだけど、先日のビデオをみて、それからNZのガイドブックみたらガイドブックのまんまの旅行だ。これは旅行会社のいいなりになっておこなわれているからだ。先生たちに主体性がなさすぎる。先生たちで生徒にとって一番よい方法を考えて修学旅行がなされるべきだ。もうひとつ、旅行会社はもうけすぎてるから、パスポート代くらいやすくしてもらえばいい。
(そうそうそのとおり、旅行会社のいいなりというのは大いに賛成する。)
56%もの子たちが賛成しているという意見にそれはちがうだろうとおもった。たった以前より3人ふえただけだ。過半数というにはちとすくない。かろうじて半数を上回った数字だ。むすこがいうようにビデオをみて盛り上がっていたと言うが、なんで56%の子たちしかNZいきを望んでいないのか私には疑問でならない。2年生は86%と大勢の子が前回のアンケートと同じくいきたいと思ってる。なんで1年の子たちは伸び悩んでいるのだろう。
で、最後に何かといわれたとき私はまたしても手を挙げた。いつもろくなこと言わないと思ってる学校関係者はうんざりした様子であった。またおまえかよと顔に書いてあったと私は思う。
手短にお願いします、と念まで押された。手短に以上のことを言ったら、56%もの子たちと言われた方が、前の席で私の発言に合わせ、なんども頭を傾げていた。
8時30分いつもより1時間以上早く終わった。時間が押していたわけではない、忠実に手短に発言した私でした。早く終わったんだから、もっとつっこんでみんなの意見を出させればよかったんだよね。その日は息子の誕生日だったので私も焦って帰った。
で、結局12月9日に最終結論がでることになった。のばすねえ教育委員会、武川村
このことはどうあれこの状態では村長と教育長の思いつきで事が始まったとしか思えない。しかも市町村合併するまでに早急にやっちまおうということか。
それで1000万近いお金が簡単に動かせるのだろうか。地方自治体における長のつく人たちの権限ってすごいんものなんだなあ。
言い出した人たちは、村からこんなにたくさんお金だしてやるんだから、きっと反対者なんかいないとおもっていたにちがいない。
外国にいくということNZにいくということがとてもすばらしいと思ってるんだろう。だから、NZ賛成、京都反対と言う構図ができている。NZは積極的意見、京都は保守的意見という雰囲気が満ちている。
村がこんなに出してくれるからいかなきゃあもったいない、自分の子だけは行かせてやりたいって空気が蔓延してる。
親はうちの子にかねだしてもらえると喜び、村は金だしてやるっていう。金さえ出せば世の中収まるのか。金でしかすべてのことが判断できないのか。
私もお金はほしいさ、新しいMacG4ほしいし、BSデジタル見たいし、お金がないために不幸になる人もいるとおもうよ、だけどねえ。
説明をうけたビデオどおりのスケジュールならば、こどもたちに得る物はたいしてないとおもう。金さえ出せばこどもの役に立つってもんじゃない。
以前もリサイクルバックなるものが村民全員に配られた。ゴミ減量化でこのバッグを使えと言うことらしかったが、もはやこのバッグじたいがゴミになっている。国か県からリサイクルの補助金がでたのかもしれないで、仕方なく考えた。結果このくらいのことしかおもいつかなかったんじゃあないのかなあ。
1000万ってすごいお金だとおもう。村にスクールバスがはしっているわけでもないし、図書館の本はなさけない。
富士見町の図書館は自販機もあって、放課後の中高校生がたくさんきている。サロンみたいだ。都会の児童館も中高校生にサロン化させているとこがあると新聞で読んだ。
幼児から年寄りまで集まれる場みたいのはできないのだろうか。
卓球をしてる人がいても良くて、麻雀をしてる子、囲碁・将棋もいて、本を読んでる人、ビデオを見る人、インターネットをする人、ホームページを作る人、短歌を作ろうとする人、いろん人や子どもたちがつどって、教えられる人たちは子どもたちの放課後に合わせて行ってみる。
教えるっていう発想じゃなくて、いっしょに考えるようにしてほしい。短歌だって、いままでの方にはめないように、今ある村民のクラブ活動みたいのじゃなくて、出入り自由な遊び感覚の場の確立とかさ。
1000万あればいろんな事考えられるよね。
まっこんなとこでぐちゃぐちゃゆっててもはじまらんわけだけどね。