スポーツ化されると各々のルールに武道が引っ張られていく傾向が強く、結果技が薄くなっていく。これではいつまで経っても技は身に付かない。
実戦をする時は法形の技をどれだけ使えたかを検証。技を身に付ける、技を磨くという意味ではスポーツの様に勝敗に囚われた稽古はかえって逆効果になってしまう。技は法形を実戦の中で活かしきり、また身に付ける事によって生まれてくる。
武道は頭で理解すると同じに体で理解し且つ悟らないと使い物にならない。
法形を原点とし、最終的には法形から解放されて自由になった時、それが真に使える技であり、「術」と言える。つまり、法形は実戦に使えて初めて真の法形となる。
法形が結果として使えるか使えないかは、言葉で表し難い「内」なる部分を修得する事にある。「内」とは触れただけで相手を倒したりする力の事である。法形の挙動を支配している「芯」に気づく鍛錬が必要。
武術で一番肝心なのは「実際にその技が使えるかどうか」、出来るか出来ないか。その裏づけのないものは武術とは言えない。例として、飛ばない紙飛行機の折り方は何回やっても結果は同じ。きちんと飛ぶようになった折りかたが法形。実際に飛ばせる事が出来ない法形では仕方がない。
最初に型があり、次に実際にその型が使えるかどうかを分解組み手等で確認する。
一生現役たることこそ武術・武道ではないか。
防御とはまず自分を守る事が絶対条件であり、そこから出した攻撃が勝ちに繋がる。つまり、既に守った時点で勝ったとも言える。これが防御。
型そのものが組み手に使えるということではなく、型の中に組み手のエキスが有る。つまり、型を基本、起点としてそこからの変化応用が組み手になる。それを身に付ける事。
使える保証がないようなものは武術の型とは言えない。
スポーツは試合に勝つことが最優先になり、勝つ為の「テクニック」になる。
「何故出来ないか」その原因を明確にし、「克服するには具体的にどうするか」これが肝心。
武道は日常生活のありかたや、ひいては生き方にまで自然と反映されるぐらいでないといけない。相対的なものの見方や考え方はどうしても時間スケールが小さくなる。絶対的的価値観が重要。
自分の力、自分の体に合うような技を自分で作りあげるのが大事。
大事な事は、型を沢山学ぶ事より、型の意味を理解し、基本分解、変化分解そして応用のステップアップを踏む事ではないか。一つの技からの変化、応用させて色々な技を作り出す。それが自分の苦労、自分の修行。そこまで修行しなければ本当の自分の技は生まれてこない。
試合に勝つのも大事だが、もっと大切な事は自分が今まで出来なかった事が出来るようになることではないだろうか。
「戦わずに勝つ」、武道をする人はこれを身に付けなければならない。「戦わずに勝つ」、これが武道の最終結論、奥義なき奥義。
武道はケンカする為に稽古するのではない。勝った負けたはその時の問題。
型に隠れた部分を探さなくてはならない。
護身術の一番の条件は「家族を守る」こと。家族を守り自分を守る。喧嘩で守るのではなく、社会的な行動で自分を守り家族を守る。それが護身術。喧嘩して勝つのが護身術だと思っているがそれは一つの余分な話。本当の護身というのは「戦わずに勝つ」。自分の行動によって家族を守る、それが本物。 |